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岩倉玲音なのは黛灰ではなく私達の方だ

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これの続きです


岩倉玲音なのは黛灰ではなく私達リスナーの方だ

そう思いたい。
ついに明日、新宿アルタビジョンで黛灰に関する映像が流れてしまう。
そこで何かが起きてしまう。

serial experiments lainで現実世界に干渉して、街頭ビジョンを乗っ取ってしまったのは玲音のどの人格かわからないが、
その後のことを考えると、黛灰を岩倉玲音だと思わないほうがいいのではないか。

玲音は物語の終盤に英利政美と対決し、それによって親友ありすを傷つけてしまった・巻き込んでしまったことを後悔し、
自分自身の存在をdeleteし、誰にも認識されない存在となって、街をさまようことになる。

黛灰の物語における「.」で、英利政美とシンクロする存在である野老山氏と対決したのは、実質的にはリスナーであり、黛灰ではない。
そしてそれによって愛すべき存在を傷つけてしまったのも、リスナーであり、黛灰ではない。

そうであるならば、この物語の結末で消えるべきなのは、
黛灰ではなく、私達リスナーの方なのだ。

これがlainになぞらえながら、lainであることを匂わせながら、彼がそれだけで終わらせないのであれば、
黛灰の中から、黛灰の物語を崇め、黛灰に黛灰であることを求めてしまう、そんな自分は消えてしまって構わない。
黛灰の物語は、それを作り上げた者とそれを愛したものと共に、消えるのもひとつの物語なのだろう。

リセットされた世界で、黛灰が普通にYoutuberする日々が始まるのかもしれない。

偶然か必然か、1年前の6/19らしい。

じゃあ黛灰ツイッターのSystem messageって

世界をリセットし、自分の存在を消去した、私達リスナーが送信しているってこと…?

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右ねじ
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